活動紹介 >> FIGU特別公報
>> 『FIGU特別公報』第7号(速報版)
戦争とテロ、すなわち地球の権力者の新しい宗教
米国とイギリスはイラクで不正かつ残虐な戦争をしたが、彼らが言い張っているような勝利は得られなかった。というのもイラク国民は両国が自分たちの国土に入ることを望んでいないからである。他の多くの国で常のごとく、イラク人は「アメ公、帰れ」と叫び、これまでのサダムの独裁を新しい独裁、まさにアメリカ合衆国による独裁に置き換えるようなことはしないと訴えている。しかしそんなことは、愚かで誇大妄想狂のアメリカ大統領で、戦争の英雄を気取り、イラクの解放者を自称するジョージ W.ブッシュと、彼に隷従するすべての信奉者は気にもとめない。イギリスの愚かな同調者トニー・ブレアと、その責任能力を欠いた従者もまったく同様である。放火と破壊と殺戮によってイラクを「征服」して、博物館からおよそ動かせるものはなんでも盗み出した、数多くの残忍な「戦士」も同類である。博物館などで実際に起きたことを目撃したイラク人によると、最初に軍隊が博物館から貴重な展示品を「解放」し、それらを米国やイギリスに送った後で、イラク人の略奪者が押し入り、残っているものを壊したり、持ち出したりしたのである。
ブッシュとブレア、この二人の尊大で、無責任で、気まぐれで、とてつもなく愚かな輩と、同じく無責任な従者たちに、世界中の人間の生死や国家の存否を決定する権力が与えられているのである。しかもそれに対して国民は歓呼の声を上げ、二人の国家権力者が神を引き合いに出すと、その妄言を信じるのだ。だが、このアメリカの狂った権力者、いわゆる合衆国大統領は、そのサダムに対する復讐欲と小心者の不安を正当化するためになんと言ったか。ブッシュは、サダム・フセインの民に戦争や破壊、テロや殺戮を浴びせかけるとき、それを神に直々に託された使命と言ったのである。そしてアメリカ大統領の英国総領事でおべっか使いのブレアは、ロンドンの新聞「タイムズ」によると、自分を正当化するためにこう叫んだ。「私は創造主の前に出て、私の決定により命を落としたすべての者について責任をとる用意がある。」もし本当に創造主なる神が存在したならば、ブッシュにへつらうしか能のないこのブレアは、とんでもない悪人に映ることだろう。ブレアの主人でもあり先生でもある誇大妄想で無責任なジョージ W.ブッシュも同様である。この男の職業はアメリカ大統領であるが、ブレアがこの愚かなアメリカ大統領と共謀してからは、まるでアメリカ合衆国の何番目かの英国州の知事を兼ねているように見える。
しかし、最後の審判の日に登場して責任を問うような神なる創造主も、創造主なる神も存在せず、中立的な宇宙の創造、すなわち宇宙意識が存在するのみであるから、ブッシュに服従して大口をたたくトニー・ブレアも、神を口にする偽善者ジョージ W.ブッシュも、まったく責任を取らないに違いない。彼らが架空の神なる創造主に逃避するのは、信者を引き留めておくために考え出した教派まがいの誇張にすぎないことを、ブッシュとブレア自身は非常によく知っているに違いない。だが、彼らはその残忍な戦争策謀の罪をとがめられることはない。なぜならば、太古よりこのかた勝利者というものは、たとえそれがうさん臭い残忍なテロリストや戦争犯罪者であったとしても、責任を問われて処罰される代わりに、英雄として讃えられ天に召されてきたからである。が、同じことは彼らの同調者や賛同者、指揮官や兵士にも言えるだろう。そうした犯罪的な連中は、地球では法廷で裁かれることはないのである。事実、ブッシュもブレアも、彼らが国際法に違反して犯した極めて犯罪的な戦争について、地球の裁判所によっても「神」の審判によってもその責任を問われることはないだろう。が、これは国連法廷も同じことである。アメリカは国連法廷を自分自身には認めず、他国に対してのみ適用するが、それだけでも国連法廷が物笑いの種になる理由として十分である。こうしてブッシュとブレアやその取り巻きに対して法と法律による裁きは何も行われないために、またアメリカとその軍隊が地球のすべての国々から撤退して自分の国におさまり、世界制覇の計画を放棄するということがないため、今後いろいろな災厄が起きるであろう。様々なイスラムのテロ組織やその他のテロ組織がイラク戦争の復讐をし、彼らもまた罪のない多くの人々の血を流し、無数の殺戮を行うだろう。それはすでにリヤドとサウジアラビアのテロ行為や、モロッコのカサブランカにおける二度のテロ攻撃が証明している。これらの攻撃によって、すでに多くの罪のない人々の命が失われたのである。そしてこうした行為がまたもや犯罪的な国家権力者を刺激し、彼らの方ではその誇大妄想と教派主義と尊大さから自分たちが神に召命され、その正規軍によって同様に殺戮、破壊、テロを繰り広げるよう命じられたかのように思うのである。このように次から次へととどまることなく続く。なぜなら、暴力は絶対に暴力しか生まないからである。こうして最後にすべてが破壊し尽くされ、この残忍で犯罪的な行為によって人間自身が根絶やしになる。どのみち増大し続ける人口過剰によってもそうなる運命ではあるが。
ジョージ W.ブッシュとブレアが、自分たちのしゃべっている宗教的な戯言を信じているとは思いがたい。すべては愚かで信じやすい国民をだまし、自分たちの側に付けようとする教派的な策謀にすぎまい。それはサダム・フセイン自身が60年代に私ビリーに打ち明けたように、このきわめつきの不信心な殺人狂がやったのと全く同じである。馬鹿ブッシュについて言えば、こいつも家々の棟木がきしむほど不正直な国民に向かって偽善的な弁舌を振るい、ジョージ・ウォーカー・ブッシュは神託を受けてイラクに存在する「邪悪」を滅ぼし、地球の番人として世界を良くしなければならないと嘘を言った。やつはまた「我々が尊ぶ自由は、アメリカが世界に与える贈り物ではなく、神が人類に授けた賜物である」と声高に叫びもした。この下賎な男がアメリカ合衆国と言わずにアメリカと言っていることだけでも、その本性が知れるというものだ。というのも、アメリカとは本来アメリカ合衆国のことではなく、北米、中米および南米の全大陸を意味し、アメリカ合衆国はその一部にすぎないからである。しかし明らかに、ブッシュとその取り巻き連中、それに多くの不誠実なアメリカ国民が全大陸を自分たちの領土とみなしているが、これは世界制覇をもくろむアメリカ合衆国の振る舞いにまさにぴったりである。だが、ブッシュの演説は、知性ある人々に何をもたらしたのか。それほど多くのものではないということは、次に掲げる2003年1月31日付けのターゲスアンツァイガー紙の抜粋記事を読めば明らかだろう。
【ブッシュの演説の抜粋】
アメリカ合衆国の使命について
「この世界を良くすることは、祝福された国であるアメリカの召命である。」
「我々は(編集部注:国連と)協議する。だが、誤解しないでもらいたい。もしサダム・フセインが完全に武装解除しないならば、米国民の安全と世界の平和を守るために、我々は連合を率いてサダム・フセインを武装解除する。」
「我々は平和を希求する。(中略)時に平和は守られなければならない。(中略)もし戦争が避けられないならば、我々は米軍の総力をあげて戦い、そして勝利する。」
「我々が尊ぶ自由は、アメリカが世界に与える贈り物ではなく、神が人類に授けた賜物である。(中略)神が我々をお導きくださるように。そして、引き続きアメリカ合衆国を祝福してくださるように。」
イラク国民への語りかけ
「今夜、私は抑圧された勇気あるイラクの国民にメッセージを送る。君たちの敵はイラクの周囲の国々ではない。イラクを統治する者が君たちの敵なのだ。彼とその体制が権力の座から取り除かれる日が、君たちの解放の日となるのだ。」
「我々はアフガニスタンで行っているように、イラク国民にも食糧、医薬品および救援物資を、そして自由をもたらすであろう。」
アメリカ軍への語りかけ
「決定的な瞬間が諸君の目前に迫っている。その瞬間には我々の大義の達成は諸君の双肩にかかっている。諸君は訓練を重ねて準備ができている。諸君の栄誉が諸君を導くであろう。諸君はアメリカを信じ、そしてアメリカは諸君を信じている。」
さて、真偽の程はいざ知らず、こんな噂が流れた。ブッシュは彼の愚かで不誠実な演説を、米国の前方にある島にある威張り屋国家のイギリスで待ち侘びている「米国市民」にも行い、最後に「神の祝福を!」という言葉で締めくくろうと思っていた。しかし最終的にイギリス市民に向けて送ったのは、「サンキュー」という月並みな言葉だった。そのわけはブッシュの相談役たちが、最後になってまた愛すべき神をかつぎ出すのを思いとどまるよう必死に説得したからだという。けだしブッシュは神という言葉で自分自身のことを意味していたのである。
ところで、戦争であれ、本当のテロであれ、つまるところ同じである。いずれも背中に宗教や愛すべき神をかつぐことによって、ありとあらゆる殺戮や破壊を簡単にやってのける。つまり、宗教の名を使えば、破壊、盗み、略奪、絶滅、拷問、大量虐殺、殺人、殺害などを、米国オイルや英国オイルなどを持ち出すよりも、はるかに容易に、良心の咎めを感じることなく実行できるからである。一般にこの世では、まさに大部分の地球人の間で、宗教や神や聖人のために戦う時は、ずっと簡単に死ねるという、つまり血を流し、苦痛に耐え、死を甘受できるという盲信や狂気が広がっている。しかもそれに憎悪と復讐、そして極端な狂信主義がからむと、不正と災厄と精神薄弱を押しとどめるものはなくなる。神の手によって情け容赦もなく殺し、殺害し、盗み、拷問し、略奪し、強姦し、そして際限なく権力を行使できるのである。しかしたとえ神の手によろうとも、殺害された人間はすべて最終的に完全に死に切り、残酷で非人間的な悪意に包まれてあの世に送られる。だが、残忍な権力欲に憑かれた国家の親玉やテロリストの親玉、司令官や神の命令と名前で数え切れない人々を拷問し、殺戮したすべての殺人者たちの方はどうなるのだろうか。彼らは後になってひそかに喜び、その残忍な行為、盗みや略奪や強姦によって英雄扱いされ、良心が咎めることも全然なく、安らかで平和な生活を続け、悪夢を見ることもなく熟睡するのである。そして素朴な連中が、主なる神が戦争を命じるとか、二人の責任者とその取り巻き連中は「神の裁判官」の前に出て申し開きをする用意があるなどという、米国大統領ブッシュや英国首相ブレアの極めて教派的な馬鹿話と嘘を信じるのならば、この「神の裁判官」がどれほどの白痴か精神薄弱者であろうとも、それら素朴な連中は頭が完全にいかれているか、あるいはまだ霊長類と一緒に木の枝から枝へと伝わっていた発達段階にいるのである。
ブッシュもブレアも目立つことが何よりも好きで、不信心な法王でさえ思わず涙を流し、嗚咽を漏らすような教派的な演説をして脚光を浴びようとする。アメリカ合衆国皇帝ジョージ W.ブッシュと、その帝国のイギリス総督トニー・ブレアは、かつてのジンギス・カーンのように軍馬にまたがり、戦争やテロ、死や破滅において彼らの愚かな兵士を指揮する。そしてひとたび戦闘が始まって、多くの人間が殺され、すべてが破壊されると、彼らは戦力の頂点に座り、愚かな国民から歓呼されるのである。ところが、ブッシュは無残なアル中患者であり、他の人間がベトナムで血を流している最中に兵役を拒んだのである。これは昔からブッシュやブレアの常套手段である。途方もない能なしで、役立たずで、ろくでなしの二人は、また途方もない大口を持っており、権力の座についたら人々の頭上にその声をろうろうと響かせて、自分たちのひどい臆病と無能、そしてすべてにおいて役立たずであるという事実をかき消すのである。しかも二人が語りかける素朴な連中は、彼らの尻にまるでうんこのように付着し、その悪臭にうっとりして、生涯を通じて無能であった輩にくっついているということが分からないのである。
卑劣な教派主義者ブッシュの操り人形であるトニー・ブレアは、自分に従う兵隊にイラクで殺害や破壊や博物館の略奪をさせた。ブッシュ自身はと言えば、回心したアル中患者で兵役拒否者として、信心ぶって仮想の神の前にひざまづき、偽善的にも利己的な祈りを捧げる。が、これはすべてかつてサダム・フセインやブレアもしたように、自分を讃える信じやすい愚かな国民に見せるためのショーであり、空疎なジェスチャーであり、仮面にすぎず、その実、みだらにも血の臭いに恍惚としているのである。だが、その種の人間は将来とも決してブッシュとブレアに尽きるものではない。イスラエルのアリエル・シャロンとその取り巻きや、パレスチナのヤシル・アラファトも、二人に比べて少しもましではないからである。そしてこれらの連中はみな、今後も人間の命を奪わせ続けるだろう。そればかりか、彼らはかつて権力者として自ら人間の命を奪いもした。ジョージ W.ブッシュは州知事時代に死刑制度を擁護して死刑の執行を言い渡したし、アリエル・シャロンは軍のボスだった。また、アラファトはテロリストや、自爆攻撃の形を取ったその他の殺人者の親玉である。人間を殺せという命令を出す者は、その命令を実行して殺人を犯す者と同様に殺人者だからである。その際に様々な宗教や教派の神々を持ち出そうと、あるいは神の命令を自称しようと変わりはない。そのようなことを言い張る者は、キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、ユダヤ教徒、仏教徒、その他どんな教派信者であろうと愚かな大嘘つきである。こうしてすべての宗教や教派によって無分別かつ狂信的に良心の咎めなく殺害が行われる。キリスト教徒やユダヤ教徒、イスラム教徒やヒンズー教徒で人間として堕落した殺人者は、自分たちの都合に合わない者を皆殺しにするのである。もちろんそれを実行するのはたいてい軍隊や準軍隊的な組織か、あるいは狂信的なテロリスト集団や自爆攻撃隊であり、戦争もテロも変わりはなく、あちこちの国で放火や破壊や殺人をして回っている。その間、やくざな国家元首は安全な場所に座り込み、その汚れた手をすり合わせながら、彼らの支持者や、隷従者や、空っぽの頭蓋を差し出して撃ち落とされる者たちの度しがたい愚かさをあざ笑うのである。
これだけではまだ言い足りない。ローマには教皇の座もあり、なんという恥知らずなことか、とうに解任されて然るべき信心ぶった老いぼれ法王がそれに腰掛けているのだ。彼はその体面を汚すほど衰弱した体で愚かにも幼稚きわまる言辞を弄し、完全に壊れた夫婦が離婚するのを禁じ、世界中で子供や未成年者を陵辱している小児性愛の司祭を守り、プロテスタントとカトリック教徒が信仰上の事柄で協力することを禁止している。しかも彼はこれを架空の神の代理人として行うと主張する。そしてブッシュとブレア、およびその他のすべての罪ある国家権力者の場合とまったく同じように、彼に賛成しない者は、彼に敵対する者である。実はこうしたことを許しているのが立派な神であるということは、司祭が戦争に使う武器を祝福し、彼らの神に勝利を懇願することを考えるならば明らかである。過去において法王たちは自ら戦争を命じ、人間を殺させたことも考えるべきだ。ましてや宗教裁判は言うに及ばない。
罪ある国家権力者であろうと、法王であろうと、彼らにとりいる取り巻き連中であろうと、これらすべての偽信者たちが権力の座にはなく、彼らの呼びかける神に裁かれて、社会の表舞台から抹殺され、生涯追放されたならば、どんなにか良いだろう。そうなれば、地球人は政治、軍隊、教派、宗教およびテロの悪臭ただよう汚水溜めから抜け出せるだろう。国家や宗教の犯罪的な責任者が実際に創造主の前に引き出されて審問を受けたなら、宗教的な見地からすれば、彼らは地獄に追いやられるであろう。法王とその信者の大部分も、すべてのテロリストも、人間を蔑視した犯罪的で残忍で不法な国家権力者もみなそうである。
このほかに国連、すなわち平和を配慮し、平和を維持することを使命とする世界組織も然りである。これには米国も加盟しているが、米国は国連決議を踏みにじり、まさにイラクのケースのように、どこかで残忍で破壊的な戦争を始めることを単独で決定する。しかし本来平和を配慮し、平和を維持することを使命とする組織である国連は、なんらかの事情によって合意が成り立つと、戦争か平和かを決定する。しかし、どこかで戦争をすべきであることを決定するような組織は場違いであり、存在すべきではあるまい。
実のところ国連は何もかも支離滅裂であり、この世界クラブの中での米国の役割もまた支離滅裂である。ここで再びイラク戦争について言えば、米国の極めて保守的な擁護者でさえも、米国の戦争目的と国連査察団の任務とは全然関係がないことを、すでに早くから認めている。アメリカ合衆国第41代大統領で、馬鹿息子ジョージ・ウォーカー・ベビーブッシュのパパであるジョージ・ヘルベルト・ウォーカー・ブッシュは、当時すでに石油市場を立ち上げることを切望していた。そのためにサダム・フセインがちょうど良い口実となって、イラク国民に残忍な戦争を仕掛け、多国籍軍を使って老若男女を問わず罪のない多くの人間を殺させ、大規模な破壊を行ったのである。しかし1991年のときは大規模な策略に成功せず、米国はイラクの油田を手に入れることができなかった。そこでブッシュ・ジュニアが、サダム・フセインもしくはイラクは米国にとって、それどころか全世界にとって危険であり、大量破壊兵器を保有しており、これを武装解除しなければならない、それも徹底的にやらなければならない、という作り事を考え出したのである。ちなみにイラクでは大量破壊兵器が発見されなかったが、その理由は、アメリカ軍が自分で持ち込んだものを除けば、大量破壊兵器は本当に存在しなかったからである。すると今度は、ブッシュ・ジュニアとイラクに侵攻した軍隊は、サダム・フセインの独裁からの解放者を装った。だが、サダムに何十年もの長きにわたって苦しめられてきたイラク国民にとってさえ、すべて米国が仕組んだ大掛かりなペテンであることは明らかだった。なぜならば、米国が実際にはひたすら石油と併合を求めていることは、過去も現在も変わらないからである。実際、すでにパパ・ブッシュの時も、サダム・フセインを追放してイラクの軍事的占領を果たし、米国の指揮下で新しい地域秩序を実現して、莫大な石油資源を獲得しようとする米国の意図は知られていた。すでに1998年には米国でこれに関する構想ができており、イラク情勢について必要な分析が行われていた(これについては、東ベルリンで編集されたジークワルト=ホルスト・ギュンターおよびブルハルト・ブレンチェスの『第三次湾岸戦争の前に読む本』2002年増補版参照)。
しかしまたイラクのクウェート侵攻を有罪とした国連の弾劾もあたりまえだった。占領したクウェートからイラクが追い出されたとき、武器査察団が派遣されるとともに、禁輸や輸出制限などの制裁措置が講じられた。しかしこのとき国連の禁輸と輸入制限によってイラク国民全体が窮乏したことなど、米国も国連もおよそ意に介さなかった。同様に、数十万のイラク人、主としてシーア派イスラム教徒が、サダム・フセインの命令でイラク国家権力の手先によって手足を縛られて、ブルドーザーで掘った墓穴に生きたままほうり込まれ、殺人ガスなどで殺されたことも黙殺された。多くの国民が米国に扇動されてサダムに対して反乱を起こしたが、なんと恥知らずにも米国は彼らを見捨てたのである。イラクがクウェートに侵攻したときもありとあらゆる裏工作が行われ、その結果サダム・フセインはアメリカが仕組んだ罠にはまったということは、世界の国民には隠されたままである。失墜した侵略者サダム・フセインが有罪であることに変わりはないが、イラクの独裁者サダム・フセインがなぜ、どのように、またアメリカのいかなる秘密の策謀にはまってクウェートに侵攻したのかという事情も洞察し、公表すべきである。これに関してクウェートも、小なりといえ産油国であることを思い起こすだけでよい。そうすれば米国がどんな卑劣な手段や方法を使ってでも、この国で地歩を固めようとしたことが明らかとなる。そしてこの理由から米国は新しい宗教を作り出したのである。すなわち戦争とテロという宗教を。この宗教は昔から、すべての不正で不法な、犯罪的で尊大な、そして無責任で残忍な国家権力者や、国民を搾取し、騙し、殺害するごろつき支配者が持っていたが、最近再び勢いを増し、変質して「近代的」となったのである。
西暦1991年第一次湾岸戦争で、多国籍軍が、言うまでもなく世界支配の野望に燃えたアメ公の指揮下で数え切れないイラク人を殺し、多くの町を焦土と化して以来、武器査察官による最初の査察の結果、すでにイラクは、したがってもちろんサダム・フセインも、世界の平和やイラクの近隣国家を脅かすことはできないことは分かっていた。それは現在の第二次イラク戦争においても同様であった。事実、ほら吹きサダム・フセインは、大口をたたいて脅し文句を並べたにすぎず、その背後にあるのは実は何の価値もない威嚇戦略でしかなかったのである。そしてまさにこのことは、復讐心と支配欲に駆られたジョージ W.ブッシュの奴もよく知っていた。だからこそブッシュは今こそ大きな損失を被ることなくイラクを攻撃して併合し、中東に新しい権力の座を築くとともに、油田を手に入れる新しいチャンスと見たのである。イラクの周囲のアラブ諸国が残りの仕事を引き受け、米国が自分たちの国に駐留して攻撃の準備をできるように図った。これらアラブ諸国はアメ公の「友好関係」を求めて、彼らを自国に招き入れたが、そこで米国は昔からやってきているように確固たる地歩を固めた。事実、これらのアラブ諸国が米国に?友情の奉仕」をすることはかえって仇となる。というのは、かねてから実証されている通り、アメ公はいったん入り込むと、再び出て行かせるのは至難の業だからである。
イラクで最後に行われた武器査察と、米国および米国植民地イギリスの犯罪的な戦争を考察すると、米国の好戦的な権力欲によってイラクとイラク国民にどのような不正が加えられたか、いやというほど明白になる。すなわち、サダム・フセインはその全軍隊とちゃちな武器をもってしては世界の脅威とはなり得ず、ましてやその地域で軍事行動を起こすことなどできなかったことが極めて明らかとなったのである。それにもかかわらず、米国は嘘とペテンによって、「米国と世界平和と国際安全のために」イラクを暴力と戦争によって武装解除しなければならないというフィクションを作り上げた。そしてイギリスとスペインをはじめ、米国に隷従し、激しい不安におびえる国々がこれに同調したのである。イラク国民を残忍な独裁者から解放するという、米国と、それに引きずられて英国が事のついでに行った主張も、嘘とペテン以外のなにものでもなかった。というのも、実のところ米国はこの戦争の理由付けによってはとてもカバーできない、はるかに大きな目標を持っていたからである。すなわちイラクの併合、油田の入手、そしてアラブ世界における勢力拡大である。ここで疑問は、米国に手を差し伸べるアラブ諸国とその権力者たちは実際のところ、米国の本当の狙いがわからないほど愚かなのか、それとも彼らは米国から利益と安全を期待することによって痛い目に合うのかということである。米国から利益と安全を期待するのは、とんでもない幻想にほかならない。アメリカはアラブ人にはそのどちらも与えはせず、ひたすら支配と自分の利益のみを求めているからである。米国がその嘘を言い触らすと、ヨーロッパの大国や「平和組織」国連もこれに声を合わせた。いくつかの国々は最初こそ戦争に反対を表明したとは言え、必要があれば戦争の支援活動を提供し、かなり広範な準備措置を講じる用意があった。その背景となるイデオロギーはすでに準備されていた。それは「条件付き平和主義」というもので、万人が紛争の手段としての戦争を拒否し、軍備および軍事訓練の放棄を貫徹しなければならない、という平和主義の原則を条件付きで要求するものである。が、これだとすべては、ただ条件付きである。なぜならもし、精神薄弱者や白痴が必要であると思いさえすれば、武力を行使できることになるからである。つまり、「条件付き平和主義」とは茶番以外のなにものでもないのだ。何か予期しない事件が起きたら、すぐさま考えもなく無責任に武力を行使して、殺したり、殺害したり、破壊したりするからである。では、責任ある立場にいる無責任者やおべっか使いたちは、何と言うだろうか。せいぜいのところ「何もせずただ傍観するようなことはできないし、してはならない」、あるいは「これ以外に選択の余地がなかった」、あるいは「とにかく関与しなければならない」、あるいは「戦争に協力しなければ、もっと悪くなるだろう」等々。
これらは人間の命に露ほどの価値も認めない無責任な者たちの愚かで無責任な口実である。そしてドイツやロシアやフランスなどがしたように、戦争に反抗する者たちも、「圧倒的に強い」大国が破壊作業や大量殺戮を遂行すると再び手のひらを返す。そして「節操のある者たち」や戦争拒否者たちや平和論者たちは、再び「先勝国」にくっついて柔順な子供になり、善良な人間の役を演じるのである。
ところで、尊大にも自分たちを神の使いとみなしているアメ公は、イラクに対して残忍で破壊的な攻撃を加えるに先立ち、他の国々は国連安全保障理事会の決議に拘束されるが、自分たちは国連加盟国でありながらイラクにおける戦争遂行のために国連による承認を必要としないと表明した。この状況を解明しようとするならば、必要な文書に目を通さなければならない。最初に国連憲章第7章には、平和に対する脅威、平和の破壊および侵略行為の際にとるべき措置が詳しく規定されている。米国もこれを順守すべきあった。なぜなら、イラクへの攻撃により米国によって平和が破壊されたからである。その罪でブッシュとその取り巻き、および彼らに同調するすべてのアメ公は国際法廷に出て、重い懲役刑を言い渡されるべきである。
さて、第7章に挙げられているすべての決議事項は、常に同章全体の文脈に関連している。第41条は、第一次湾岸戦争の後で国連がイラクに言い渡したような封鎖措置について定めている。第42条は、平和の創出および維持に反するすべてのものについて定めている。すなわち、国連の安全保障理事会は、第41条に「定められた」措置では不十分であると認めた時は、「世界平和および国際安全の維持または回復」のために、空軍、海軍または陸軍による措置を指示し、実施させることができる。(変装した大国と物笑い組織に「平和への愛」、「平和の創出」、「平和の維持」という言葉を聞くとは驚きである。)これには、国際連合の陸軍、空軍および海軍による封鎖、示威その他の行動が含まれている。この場合、国連自体が最高司令官として行動し、国連憲章に従い固有の措置に加盟国の軍事行動も含むことができる。そしてアメ公が戦争とテロと死刑でやっているように、戦争と平和について、また生と死について非中立的に決定する、この極めて疑わしい連合に「中立的な」スイスが加盟していることは言語道断であり、真のスイス人が心を痛めている時に、歓呼の叫びを上げたスイス人の本性を示している。しかしここで留意すべきは、国際連合は少なくともそのような行動を加盟国に指示できないことである。というのは国連憲章では、加盟国は国連安全保障理事会と特別協定を結んで、これに兵力を提供し、この兵力は特別の軍事参謀委員会の指揮下に置かれる、と定めているからである。兵力の行使に関して、第42条の全文は次のように規定している。「兵力の使用計画は、軍事参謀委員会の援助を得て安全保障理事会が作成する。」
実際には安全保障理事会は、発足以来、軍事参謀委員会を組織もしくは形成できたことはなく、したがってまた独力で軍事行動を行ったためしもない。これは馬鹿大統領ブッシュ・ジュニアのイラク戦争でもそうであった。というのは、アメ公は国連加盟国でありながら、国連憲章とそのすべての条項をみじんも意に介さず、尊大にも自分勝手にイラクを灰燼に帰して、ものすごい恐怖、死と重傷、貧窮と悲惨、驚愕と不安、そして途方もない破壊をもたらしたのである。
度々話題になった2002年11月8日の国連決議1441は、イラクにおける軍事行動ではなく、「武器査察団の権限強化」を決議したものである。これによりイラク、とりわけサダム・フセインに、武装解除義務を果たす最後のチャンスが与えられた。が、言うまでもなく彼はそれをしなかった。なぜならば武装解除すべきものは何もなかったからであり、アメ公もそのことはよく知っていた。上述の決議は、国連が要求する武装解除義務をサダム・フセインが果たさないため、国連安全保障理事会は再三にわたって警告したことも指摘している。しかし、いわゆる大量破壊兵器や、米国と世界の安全に対する脅威に関する一切は、米国の諜報機関の誤った報告と、米国がでっちあげたその他の嘘に立脚したものでしかなく、米国はそれを国連と世界の前に示すことによって、私利と併合の目的でイラクに侵攻できたのである。が、これについては意図的に一言も語られなかった。それとも国連の連中は、米国の嘘と欺瞞を見破れないほど愚鈍だというのか。もしそうだとするならば、世界は国連と米国にいったい何を期待したらよいのか。
さて、サダム・フセインに対する警告がまじめなものだったことを疑う余地はないが、その警告は世界制覇の野望に燃える米国の偽りの主張と諜報機関の誤った報告に基づくものであった。(サダム・フセイン本人は疑いもなく冷酷な独裁者であり、暴君であり、何十万という人間を殺した大量虐殺者であり、実際に追放されねばならなかったが、それはアメ公およびこれにへつらうイギリス人の戦争によってではない。)しかしこの警告は、決して米国安全保障会議によって決議された軍事行動でもなければ、米国とそのブッシュ植民地イギリスに対してイラクを攻撃して併合することを認める全権委任でもなかった。
ところで、決議1441の前文、わけても次の言い回しを盾にとる連中もいる。すなわち、「安全保障理事会の決議678(1990年)は、1990年8月2日の決議660およびそれ以降のすべての関連する決議を支持、実行し、その地域に世界平和と国際安全を回復するために、国連加盟国にあらゆる必要な手段を行使する権限を与えたことを想起し...」これについて、言うところの「権限」は、武装解除義務を果たす目的には決して与えられなかったことを明確にしておかなければならない。実のところ全体が、クウェートでアメ公の罠にはまったイラク人を再度駆逐することのみを目的としており、しかも国連は米国の罠の本当の背景を知らずにいた。つまりクウェートを解放するためにとった国連の措置は、侵略者のイラク人を再び追い出す役割を果たした。ようするにすべてが国連憲章第42条にも準拠しておらず、第51条を根拠としているのである。その条文によると、武力攻撃が発生した場合には、「個別的または集団的自衛の固有の権利」が与えられている。しかしここで決して見逃してならないのは、国連憲章によればこのような自衛措置でさえも、「国連安全保障理事会が世界平和と国際安全の維持に必要な措置」をとるまでの間だけ認められているという点である。
最終的に確認しておかなければならないのは、安全保障理事会は国連加盟国に対して軍事行動の権限を与えるものではないということである。安全保障理事会が軍事参謀委員会を発足させて、国連憲章に従い独自に軍事行動を起こす能力を持つことは、国際的な事情によって決してあり得ないという観点から、クウェート占領後に安全保障理事会がとった行動を現実的であるとみなすとしても、いずれにせよこの物笑い組織は世界の戦争と平和を決定しなければならない。つまり、国連は命令を出すことによって、人間の命を奪い、人間がこれまでに積み上げた成果を破壊する権能を行使できるのである。このような組織は極めて邪悪なものでしかなく、地球上には不適切なだけでなく、およそ存在する権利がない。戦争、テロ、殺害、殺戮、破壊、これらはすべて同じことである。たとえそれが国連の決議と指令によってなされようとも変わりはない。
しかし最後にイラクに対する米国の軍事攻撃と、サダム・フセインに抑圧され、多くの機会に苦しめられ、拷問され、殺されてきた国民のことを再度考えるなら、少なくともこの点について、国連が米国とイギリス、およびその他のすべての犯罪的な同調者に対して、戦争によってイラクの武装解除をする権限や全権を最後まで与えなかった点は斟酌してもよい。少なくともこの点では物笑い組織も良くやった。が、その代わり米国とイギリスおよびおべっか使いに対してはなすすべもなく、イラクに対する戦争を始めさせてしまった。それが臆病さのゆえか、あるいは無力さのゆえであるかは定かではない。いずれにせよ、すべての国家にとって、米国もしくはその罪ある国家権力者と、それらの愚かな信奉者および賛同者から距離をおくことは、純粋に国際法上の視点から見て問題はないはずである。そして地球のすべての国家は、世界制覇の欲望に憑かれた米国の残忍なゲームにおいて、自分たちが次の標的となり、血のしたたる貪欲な爪で攻撃され、併合され、搾取されるかもしれないと思うべきである。それはアフガニスタンで、イラクで、その他世界中のさまざまな国で現実となった。米国は権利を意に介さない。よく知られているように米国はいつも自分で権利を作り、しかもその時々の必要に応じてねじ曲げるからである。しかもこの権利によって殺される人間の命には一顧だにしないのである。
ビリー
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