活動紹介 >> FIGU特別公報 >> 『FIGU特別公報』第14号(速報版)
平和と自由
第358回コンタクト(2004年5月6日)プターとの会見
平和と自由
平和:この言葉ほど、我々のこの現代において乱用され、誤用され、目的から外れ、汚された言葉は他にほとんど例を見ない。平和とは、口に出せば肯定的な思考と感情、同調と安らぎ、そして調和と共同の感覚を呼び起こすはずの言葉である。にもかかわらず、それは繰り返し用いられる無意味な決まり文句に貶められている。とりわけ極めて無責任で、犯罪的で自分勝手な多数の政治家や、堕落した宗教や教派の指導者たちや、良心のない独裁者によってなされる。人間は好んで平和という概念を口にするが、それをする大部分は、この言葉の意味をかけらでも理解し、その価値を認識しようという意志もなければ、その力もないのだ。
復讐や戦争、テロや報復を叫ぶ者たちには、この言葉がどれほど深い意味を孕んでいるか、この概念にはどのような畏敬と尊敬、調和と愛の響きが混じっているか全くわからないのだ。ただ単に語られるだけでなく実行されるときに、この言葉に宿る計り知れないエネルギーは、自由に発展でき、その中で生命が平和な進路で発達でき、そして豊かさが行き渡っている社会に現れる。この概念をただ単に自分自身の利益のために乱用することなく、それを自分の生命に統合して、すべてを同胞に手本として示す生命形態の、巨大な責任と、成熟と、必要な進化の水準が、惑星全体を平和にできる力を発揮する。だからなおのことひどいのは、指導者と呼ばれる非常に数多くの連中が、民主的に選ばれようと、独裁的に自分で就任しようと、政治、経済、宗教いずれの分野であろうとも、すべての地球市民に、どんな種族や宗教に帰属していると感じているか、どんな肌の色をしているか、どんな社会に属しているかに全く関わりなく、理性と分別をもって適切に平和に満ちた共存と共同をもたらし、支え、保証する能力がないということである。すべての統治者が堕落した人間の屑に属しているわけではないので、平和にする能力がなく、誇大妄想で、権力に憑かれ、利潤の追求しか考えない、傲慢不遜で、自分勝手で、人間の生命形態として堕落した政治家や宗教指導者や独裁者は、限られた数しか出現しない。だがその代わり、人間に相応しくない政治の影響は、人類全体および惑星全体で測るならば、このうえなく凄まじいものである。誤った政治の影響、宗教や教派の悪影響、ミスリードされた経済から生じるこれらすべてのひどい弊害は、将来さらに最悪の形で深刻化するだろう。
現代の政治家や独裁者、教派のボスやすべての宗教の教会長、そしてあらゆる勢力のテロリストたちは、今日の時代において平和という言葉の力と意味を、ただ混沌、テロ、拷問、強姦、破壊、そして殺人や殺害とだけ結び付いている惨めな決まり文句に貶めた。彼らは人間蔑視の犯罪者や殺人者であり、政治や宗教や教派に巣食い、地球人が現在置かれている全世界的な混沌をもたらした張本人である。彼らは政治や民主主義や宗教に関する誇大妄想じみた観念や個人的な世界像を抱いているので、往々にして平和や自由や愛や民主主義について常軌を逸した理解を、暴力と流血により他の人間や文化に押し付ける。その間に政治、経済、宗教および教派の勢力に加え、純然たるテロリストの勢力も極端で無責任になった。彼らには責任感ある首尾一貫した行動は全く不可能だが、それは彼らが行動や行為において完全に堕落しているか、あるいは柔弱になっているからである。また彼らの多くは、一切のことについて駄弁を弄さねばならないという思い違いをしている。しかし必要なのは首尾一貫した行動と介入により、事態が悪化するのを緩和し、できれば回避することである。だが、とりわけ政治と宗教に見られる数多くの妥協は際限のないつぎはぎ細工である。なぜならそうした妥協は、理性と分別に基づくものではなく、なんらかの政治的、経済的または宗教的な依存関係の上に作られたものであり、全く現実的な解決とはならないからである。そのため特に政治的な決定や法律などは、しょっちゅう変更されたり修正されたりするが、それは万事において理性的な基礎が欠けているからである。その結果として、混沌や市民の混乱はますます大きくなるのが常である。一部の無能な国家権力者の政治的な優柔不断と責任感の欠如は、ユーゴスラビアの惨事に見ることができる。特にヨーロッパの政治家の大部分は当時ユーゴスラビアで全く役に立たなかったが、彼らは今日も役に立っていない。なぜならば、すでにすべてが正常になり、なんとか再び丸くおさまったという無責任な意見が、かつても今もまかり通っているからである。そのためユーゴスラビアの戦争指導者たちは、自分たちの母国を阿鼻叫喚の地獄に変えることができた。そして殺人的な流血の戦闘、拷問、特定の住民グループの大量虐殺、テロ、強姦などが行われている間、わけてもEUの政治家たちは、飽きもせず、すべてが和平計画の軌道に乗っているという嘘を主張し続けた。しかし実際には、大地は際限のない殺人と拷問と凌辱により人間の血に染まり、暴力とテロと憎悪によってかつての多民族国家は、いわば中世の時代状況へと投げ戻された。それも、自由思想を奉じ、見かけは民主主義的な20世紀と21世紀のヨーロッパにおいてである。そしてNATOもその戦争により殺人、死、不安、破壊、驚愕をはびこらせたことについては、意図的に沈黙が守られている。1800年頃から続いている宗教紛争、数百年間未解決の問題、そして民族差別が、何千という人間を殺害することによって復活した。欧州の優柔不断と政治的な柔弱化が、戦前、戦中、戦後を通してバルカン半島の情勢を一層悪化させたのである。国家権力者は常に首尾一貫して、場合によっては適切かつ人間として責任の負える軍事的介入を含む、断固たる行動で介入することを決断するか、すべてをあるがままに放置するかのいずれかである。だが、決して見え透いた口実を探してはならず、また何もしなかったり、何かを生半可に企てたりしてはならない。この場合に絶対にないがしろにしてはならないのは、どのような道を進むかということである。というのは、殺人、殺害、拷問、強姦、破壊、その他の堕落した行為が生じないように、常に必要な行動を人間的かつ公正に実行しなければならないからだ。このような形でのみ、人間としての尊厳と、すべての生命や人間の偉業に対する畏敬の念をもって貫徹できるのである。
本来NATOとその加盟国は、バルカン半島で失うものは何もない。が、NATOはそんなことは少しも気に掛けず、邪悪な暴力をもって外国の主権領土に侵入し、その国民から自国の問題を自分たちで決定する可能性を奪ったのである。民族というものは内的な発展過程を通してのみ、平和な共存と共同の時代へと上昇できるのである。しかしヨーロッパのヒステリーと、NATOおよび加盟国の偽りの責任感が万人を魅了した。この誤った責任感は、メディアや政治家によって長期にわたりヨーロッパ人に繰り返し吹き込まれた。その結果、NATO連合軍が外国に戦争を仕掛け、死と破滅と凄まじい破壊をはびこらせたとき、多くの人間が熱狂的に賛同したのである。これと同じことをアメリカ人とイギリス人はイラクで行い、残虐なサダム・フセイン政権を倒し、イラクを救いようのない混沌状態に変貌させた。しかしこれについて付け加えると、アメリカ合衆国大統領ジョージ W.ブッシュがその殺人的で犯罪的な策略をもってイラクでしたことは、サダム・フセインがその残酷な全盛期にしたことよりもはるかにひどいものである。イラクで戦争をしているブッシュの手先は野蛮で退化した獣であるが、それは別のアメリカ合衆国大統領の指揮下で行われた他の戦争でも全く同様であり、これからも変わらないだろう。なぜなら、世界がそれについて黙しているからである。アメリカとイギリスが軍事的に拷問や強姦を働いた下劣な男女に対して行っている軍事法廷による新旧の見せかけの審理は、真実にも、戦争被害の抑制にも、あらゆる悲惨、害悪、困窮の賠償にも寄与しなければ、殺された人々を生き返らせるわけでもない。もちろん拷問犯罪が公に知られたときも、すべてのことが否認され、真の証拠写真も偽造と見なされて、犯罪はなかったと主張されたが、それが当然であるかのように扱われている。第一次大戦と第二次世界大戦、ベトナム、ユーゴスラビア、アフガニスタンおよびイラクでかつて起き、一部は現在も続いている紛争のような規模の問題は、NATOやアメリカやイギリスがしたように、外から軍隊や政治権力が殺人的、破壊的、犯罪的な介入を行うことによっては決して解決できない。このような混沌とした地域や国家では、戦争行為や占領軍は、最良の場合でも見せかけの和平をもたらすことができるにすぎず、破壊されたものをすべて復興するには何十兆もの費用がかかる。残忍にも拷問や屈辱や凌辱を受けたすべての人々を、彼らの心理的、意識的、肉体的なダメージから回復させることもできなければ、残酷かつ野蛮に殺された人々を生き返らせることもできない。いわゆる敗戦国に軍隊が駐留して、すべてのものを再建することはできるが、それは為さねばならない仕事のほんの一部である。しかしこうした一切のことも平和共存に寄与することはいささかもない。紛争当事者はそのような紛争の解決を自分で成し遂げなければならない。外部からのいかなる影響も、長期的に見ればすべての当事者に一層悪い結果しかもたらさないのである。
戦闘的な紛争は多くの国に存在している。特にスーダンでは何千という無実の人々が、男も女も子供も大量に虐殺され、正規民兵団やゲリラ兵も拷問を行い、血の興奮状態に陥っている。この場合、戦争をしているのは国と国だけでなく、種々の宗教団体の信者も自分たちの信仰のために殺し合う。しかしこの事実が世界に知れ渡ることにならないのは、ジャーナリズムにとって十分にセンセーショナルではなく、読者もそれほど関心がないからであり、またすべてが非常に離れた所で起きていて、直接関わりがないからである。同様のことは「グアンタナモ湾」についても言える。そこではいろいろな国の戦争捕虜600人以上がアメリカ軍により非人間的な条件のもとで拘束され拷問を受けた。それは長い間日常茶飯事になっていたが、もはや誰も気に留めない。世界の世論はアメリカの機嫌を損ねないよう、だんまりを決め込んでいる。なんという下劣さであることか!
バルカン半島の紛争は永遠に燃え盛る業火であり、その炎は当事者である民族が消さなければならない。彼らのみが理性と分別の道により炎を抑え、消すことができるのである。だがそれは、数百年にもわたるこれら多くの争いと、何ももたらすことのない宗教的対立と血の復讐などが、いかに無意味であるかを認識することによってのみ可能である。どんな力をもってしても、外から平和を押し付けたり、もたらしたりすることはできない。それは不可能である。人間も社会も民族も、望まれる平和は多大な労力を払うことによって作られ、獲得できるものであり、そのために個々人の理性と意志が求められているということを自分で認識しなければならない。しかし、堕落した指導者が繰り返し権力の座につき、人々に不和と憎しみと妬みをもたらし、アジ演説と復讐の叫びと報復欲により彼らを戦争や拷問へ、女の凌辱や子供の性的虐待へ、殺人や殺害へ、復讐、憎しみ、そして報復へと誘導する限り、堕落し無責任で、権力欲に憑かれ、不遜で犯罪的な連中が、自分の国だけでなく他の国々の運命をも決定する。これに宗教がその気違いじみた教えで駄目を押して、そのような紛争を煽り、戦争とテロを助長する。我々の惑星では種々雑多な宗教とそれらの何千という教派が、人間を愚かにする堕落した教義で、いやおうなく紛争を生み出している。なぜならすべての宗教と教派の背後に潜んでいる不合理と信仰の非理性とが、人間をますます混乱させるからである。これもまた、平和共存に、世界を包み込む共同体に到達できない一因である。宗教と、そこから派生する教派が存在する限り、戦争とテロはどうしても避けることができない。この理由からだけでも人間が、自分自身の堕落した目標のために自分たちを利用しているのは誰か、また国を平和と自由のうちに発展し得ることに貢献できるのは誰であるかを認識することは、民族の発展にとって基本的にとても重要なのである。
まさに今日の時代、すなわち旧ユーゴスラビア諸国、アフガニスタン、イラクをはじめ、他の多くの宗教戦争やゲリラ戦争の中心でくすぶる不和やテロや拷問などの極めて危険な火種や、組織された国際テロリズムが世間を震撼させている時代に、再び平和について語ることが多くなった。この現象はスイスや全ヨーロッパだけでなく、世界中で起きている。しかし憎しみと不和は何世代にもわたって人間の体を毒してきたので、彼らはそもそも平和が何を意味するか全くわからなくなっているのである。特に最近では、EUとNATOおよびその加盟国が、バルカン戦争勃発前に、政治的に戦争を回避することに成功しなかったことも、その一因となっている。この事情は、EUという機構全体およびすべてのEU加盟国が無力、無能、無資格であることを物語っている。当時、バルカン戦争が始まる前に、最悪の規模の内戦になるであろうことは明らかだった。しかし誰も指をやけどしたいとは思わず、それゆえまた首尾一貫した政治的行動によって必要なステップを開始しようともしなかった。すでに数千人も死者が出た後で、ようやく遅ればせに何かをしようと決心したときも、すべては中途半端で、必要な首尾一貫性を欠いたものだった。すべての当事者は直ちに武装解除し、責任者を即刻裁判にかけ、判決を言い渡すべきであった。しかし責任のあるほとんどの殺人者は、いまなお自由に歩き回っているか、あるいはデン・ハーグの国際司法裁判所で自分たちが無実であることを演じて見せ、それによって国際司法裁判所を全く信用できない笑い者にしているのである。アメリカに至っては、自国の戦争犯罪人が国際司法裁判所に裁かれるのを拒んでいる。さらに戦争犯罪人に対する裁判が何年にもわたって長引いていることも、国際司法裁判所が完全に無力であることを示している。また何千もの人々を殺した殺人者に判決が下っても、裁判官の茶番と柔弱さのために、大量殺人者は意地悪そうにほくそ笑むだけである。そして生涯社会から追放され、残りの人生を流刑者として送る代わりに、15年ないし20年もすると再び人間社会に放たれ、またもや凌辱や殺人を犯すのである。国民の指導者や裁判官が柔弱で、典型的に政治や裁判において首尾一貫せず、ただ語るだけで、必要な枠内の行動さえ起こせないことは、いかに人間がつねに責任を逃れようとするか、そして状況を認識して正しく評価判定できないために、意識的に必要な論理をもって行動することができなかったかを物語っている。だがこれにはすべての無能な精神科医も責任がある。彼らは役立たずなほら吹きで、どんな重罪人にも、それらの嫌悪すべき行為に対して訳のわからない情状を認める。その結果、重罪人は軽い罰を受けるだけで、しばらくすると再び人間社会に戻されるのである。
今日、どんな国民の指導者を、理性的で責任感のある人間として、つまり常に真の平和のために言葉で肩入れするだけでなく、これを責任ある仕方で実現するために行動する用意のある人間と見なすことがきるだろうか。指導者たちが下賎にも市民に信じこませようとするように、もし彼らが本当にそのような人間であるならば、数百年来今日に至るまで存在している地球のすべての紛争はないはずである。もし国民や宗教の指導者たちが彼らの大言壮語を自分自身の肝に銘じて実行していたならば、彼らは平和という重要な言葉をとうの昔に実現し、とっくに時機を失した人間に相応しい状態をこの惑星の上に生みだしただろう。そうする代わりに上層部の人間、国家権力者、宗教の頭目およびそれらの手先は互いにたぶらかし、だまし合っている。同様に彼らは、天に向かって叫んで、文字通り悪臭を放つような人間蔑視のやり方で自分たちの国民をもだますのである。そしてこうしたことはただすべて、破廉恥にも嘘とペテンで自分たちの利得をだまし取るためなのである。彼らはただ自分たちの権力、自分たちの利益、自分たちの利潤のみを追求し、国民と世界に自分たちの権力を発揮することに意を用いる。そうしない場合でも、彼らは疑わしい平和に浸った国で名声の上にあぐらをかき、自分の国で真の平和を獲得し、あるいは殺人や殺害が行われている所で平和と調和を生み出すために必要な責任を引き受けようとは決してしない。他方で、国を裏切り、屈辱的にも祖国の主権を高く売り付け、自分たちの国家を疑わしい宗主権の支配下において自由を破壊する国家権力者とその愚かなシンパがいる。
ヨーロッパ域内では比較的うまくいっているとは言え、平和な印象は全くの見せかけにすぎない。世界平和に貢献することのできない様々な国や、それらの指導者が引き起こす政治的な影響はまぎれもない。多数の国民の指導者は自分たちに任された地位を、低劣で無責任な仕方で利用している。彼らは憎しみ、不和、妬み、そして戦争を撒き散らし、その他の災厄を引き起こす。彼らの気違いじみた病的な思考と振る舞いは、地球の住人と惑星全体に殺人と死、悲惨とテロをもたらし、それが結果として自動的に全人類に影響を及ぼす。この場合、彼らが現在のところ幾分か平和なヨーロッパやその他の地域で生活しているか否かはどうでもいい。なぜなら、軍隊、テロ、宗教および教派が引き起こすあらゆる事件の影響およびその結果は、遅かれ早かれ一人残らず全員に降りかかるからである。ヨーロッパのほとんどの国では欲しいものがすべて手に入り、数十年来、戦争その他革命的な騒動が起きていないからという理由だけで、ヨーロッパ人が世界平和に対するグローバルな責任を免れ、またこの状態がずっと続くと信じるのは幻想である。人間としても、人間相互間においても堕落した戦争の推進者や扇動者がいまだに存在してなおも悪事を働き、一部は疑わしくも「政党民主主義的に」選出された国民の指導者として振る舞っているが、彼らを抑え、その行動に終止符を打つことは、すべての人間の共同責任である。
平和はとりわけ対話する用意のあることを前提としているが、それは理性的な妥協なしにはうまくいかず、いずれの側も譲歩しなければならないという認識を伴う。戦争を行い、自称人道的または宗教的な目標のために人間を殺すことは、とりもなおさず邪悪、残忍で、人間に相応しくない暴力を働き、同胞を虐待、抑圧、凌辱し、虐殺することにほかならない。だがこうしたことはかなりの人類犯罪者にとっては児戯にすぎない。同じことは堕落した国家権力者だけでなく、秘密諜報員や軍隊として拷問、殺人、強姦、凌辱を働く彼らの手先にも言える。実際、堕落した政治的思考や宗教的狂気に憑かれた下賎な輩がほんの数人もいれば、自称平和で崇高な目標を達成するために、全国民を混沌へと追いやり、人殺しとテロをはびこらせることができる。それによって平和を愛する無数の罪のない人々、女も子供も男も、困窮と悲惨、苦痛と死に苦しめられることを、彼らは少しも気に留めないのである。
戦争は正常なことであり、人間に付随する現象であるということが再三言われているが、地球の歴史は今日の時点に至るまで、この恐るべき「正常さ」にかけてはまさに言われる通りであるということを示している。だがそれは、地球人が自動的に今後も攻撃性を維持せねばならないことを意味するものではない。この攻撃性は数千年来地球人に付随していて、宗教、教派、血と権力に飢えた国家権力者、狂信的なテロリストと並び、不和と不自由、また同胞に対する無関心と冷淡な状態を生み出している主因をなしている。しかしだからと言って、世界中で人類に食い込んでいる一切の邪悪が、これからもすべて存続しなけれならないことを意味しない。
平和は財産であり、計り知れない価値であるが、それは地球人が多大な努力を払って生みだし、獲得しなければならない。しかしせめて自分の中だけでも平和を生み出そうと本気に努めるならば、少なくとも現在の地球の状態が示しているように、それは個々の人間にとって非常に苛酷な戦いを意味する。なぜならば、その戦いは外に対しても同胞と平和を結び得るためには必要だからである。地球人の攻撃性と、故郷の惑星地球における戦争やテロなどの歴史的事件に鑑みて、すべての人間は将来平和に共存することを目指さなければならない。平和は決して外から押し付けられるものではなく、また戦争やテロ、その他の暴力的な手段で獲得できるものでもない。それは不可能であるどころか、その反対である。暴力によって平和を創ろうとしたり、テロ攻撃によって何かを肩代わりしようとしたりするならば、自動的に新しい暴力や紛争を誘発しても、平和的な考え方や自由な方向を生み出すことは決してないのである。
本当の平和は何よりも、すべての人間が自分の思考、感情および行動をみずから明確なものにして、暴力と強制によってはいかなる問題も解決できず、絶えず新しい問題が生まれるばかりであろうということを認識することを含んでいる。この認識は地球人の間で緊急必至に成熟し、外に向かって伝えられ、そして同胞に手本として示されなければならない。この状態が手本として示されると、遅かれ早かれ自動的に他の人間も大なり小なり見習うようになる。なぜなら、これらの人間は、意識の中でそれが何か貴重なものであることを認識するからである。だから、この認識が広まるのは最初はまばらで時間もかかるが、やがて価値あるものの全体を認識する姿勢と能力を備えた他の人間に雪崩をうったように伝えられる。もちろんこのような洞察になかなか到達できない人間や、それどころかそれを拒絶し、暴力の道を歩むことができると思い込んでいる人間もいる。だが彼らも遅かれ早かれ真の平和に心を砕いている多くの人間によって、いつの日かより善いものを教えられ、それと向き合わなければならない。すべてがばらばらになっているように見え、人間の命が全く価値を持たない今日にあっても、諦めたり、現実から目を背けたりしてよい理由はない。否、むしろ立派に人生を送っている人間は、それを続けて行かなければならない。詐欺師、殺人者、その他いつも混沌や憎しみ、嫉妬や不和を生み出す堕落した下等な人間に腹を立てるべきではない。むしろこれからも、存在の基礎として、一切を数年、数十年、数百年にわたってより善いものへと変えていくのに必要な生命、調和、真実、畏敬、愛などの基本的価値に準拠するべきだし、しなければならない。個々の人間は平和という言葉の意味と価値に新しい勢いと深みと力を与えるのを助け、そしてその責任を引き受けなければならない。具体的に言うと、平和は社会のすべての階層とそれを構成している人間に、誰もが発達して進化していくための基盤を提供でき、招来すべき状態をも意味する。国民、したがってまた個々の人間は常に理性と分別をもって、ひいては内面の学習と成熟のプロセスによって認識して、真の平和のみが本当に進化を意味し、戦争、テロ、破壊、迷妄、狂信、変質は退化と災厄を引き起こすだけだということに意識の照準を合わせなければならない。この内面的な認識およびそれと結び付いた学習プロセスは、人間が平和と自由、愛と調和において共生し、人間の共同体が現実に機能するための基盤である。学問や技術や生活の質などは、平和な時代に予想外の規模で発展し拡大でき、それによって途方もない未来の展望が開ける。それはすべての人間においておのずから展開し始め、追求するに値する進歩をもたらす。繁栄した社会に否定的な要因、たとえば社会の崩壊や犯罪の増加などが生じたら、これに対抗してその進行を食い止めるためには、人間は人生を意識的に生き、自分の強さと弱さを認識し、人間の生命形態として意識的に自らと取り組み、あらゆる方向に向上しなければならないのである。
平和は福祉と発展と進化を保証する。戦争やテロ等は、破壊や退行と結び付いている。憤りや憎しみや妬みが決して人間において肯定的なものや善いものを生み出すことができないように、これは暴力やテロや戦争によっても可能ではない。どんな社会も個人も破壊と戦争によって発展できないし、人間相互において堕落した紛争による解決も決して何らかの肯定的なものを生み出すことはできない。生命について考察する際は自分自身の観点や利益が中心をなしてはならず、同胞とその利益や必要、さらに平和、自由、愛および調和も熟考に、したがってまた思考と感情に取り入れて、決定を下す際に平等を配慮することができるようにしなければならない。自分の観点に立つだけだと非常に視野が狭くなり、決して現実的な効果や真の平和には至らないだろう。もし人間が同胞の利益を顧みず、自分の利点だけを考えたら、平和と愛にも、自由と調和にも行き着くことはできない。すべての関係者の微妙な差異を考慮することが大切であり、さもなくば絶対に長続きしない。政治的、宗教的狂信と堕落した歴史意識による数百万もの犠牲者は、そのような思考と感情と行為が狂気であることを示している。そのような歴史意識に基づいていろいろな陣営が自らを歴史上正当と見なして他の国や地域を要求するが、これはその無分別な行為により殺人とテロと無政府状態で覆われたすべての人間を犠牲にしてなされるのである。
テロ政策を支持し、自らを正当と見なし、いわゆる和平交渉で勝者たらんと欲する政治家やタカ派連中を除けば、両陣営には敗者しかいない。さらにひどいことに、戦争や紛争は当事者の地域に限られていない。なぜならそれらはむしろ、直接的であれ間接的であれ、直接関与していないすべての国家や人間に影響を及ぼすからである。責任を負うべき政治家や指導者は、自分たちの破壊と大量虐殺の政策によって何をしでかしているか、今日に至るまでまだ理解していない。彼らは他の人間に対して責任を負うことができず、いわんや他の国々に対して責任を引き受けることは不可能である。人間蔑視の犯罪的な二つの集団が数十年来互いに交戦状態にあり、それぞれ自分たちの国民を平和な時代へと導くためにいかなる手段も講じようとはしない。誤った歴史の解釈に基づいてでっちあげられた理由に支えられた論拠は、すべての陣営にとって紛争を破壊、強姦、拷問、殺人、殺害で埋め尽くし、テロの応酬をし、そして考えられる限りの可能性を利用して平和を妨げ、憎しみを煽るための十分な理由となるのだ。
人間蔑視の犯罪的で変質した政治家と犯罪的なタカ派を抱えるイスラエル政府もそうであり、彼らの戦争扇動的な政策はパレスチナ人との共存を不可能にしている。しかし他方にはパレスチナのテロリストと公認された政治集団およびそれらの手先として働く殺人者がいる。彼らの本来の関心は、イスラエル人に対して決して終わることのない永遠の戦争を仕掛けることである。いずれの陣営もその思考は非常に堕落、変質して原始的なので、もはや解決を探すことも見つけることもできない。それは責任を担うべき人間に相応しい、恒久的な平和を保証する解決である。それを彼らは全く望んでいないのだ。それにもかかわらず彼らは飽きもせず和平プロセスに関する偽りの誓いをする。その一方で、どこかの地域で無実のイスラエル人が爆弾で吹き飛ばされたり、パレスチナ人がイスラエルの占領軍に射殺されているのである。とりわけ権力欲に憑かれた2人の指導者アリエル・シャロンとヤシル・アラファトは、彼らの無責任な行動と行為により、平和という概念が全く空疎なものに成り下がることに貢献している。これら堕落した二人の輩はしょっちゅう和平交渉、和平計画、和平の道、和平会談、ロードマップなどという言葉を口に出す。しかし彼らはただの一度も、誠実で平和的な意図で和解交渉に臨むことができない。テロや破壊を行い、人間の生命を滅ぼし、何にも増して人間の共存の基礎をなしているあらゆる価値を軽蔑する彼らの政策は、彼ら二人をテロと誇大妄想の従者にした。この悲しむべき二人の政治家に由来する歴史的、人間的な狂信、そして彼らが撒き散らす憎しみと不和は、その振る舞いとそこから生じる結果により、世界平和や多くの地球人の真の人間性を実現することがいかに困難であるかを物語る最良の例である。
両陣営の国民の中には十分な理性と分別を備えた人間がいて、平和を通してのみ共通の未来が生まれるということを知っている。両陣営の国民の大部分は平和を望み、妥協する用意がある。しかし戦争遂行者や戦争扇動者たち、平和をテロによって達成できると思い込んでいるすべての愚か者や変質者は、実際にはすべての和平プロセスを妨げ、これに関するすべての端緒をいつも芽のうちに摘んでしまうのである。これらの時流に遅れた変質者たちは、自分たちの地域の人間に何をしでかしているか、また地球の全人類にどんな災厄をもたらしているか、そして彼らの憎しみと妬み、テロと永遠の紛争によって何を引き起こしているか全くわかっていない。これら両陣営が対立して破壊を繰り返している間は、地球に世界平和が訪れることは決してないだろう。両陣営も、堕落者にたぶらかされている国連も、真の平和によって地球人の存続を確保するために、新たに本当に誠実で平和な道を進むことが求められている。何よりもアメリカ政府とその共犯者の破壊的な策謀に引き起こされて、世界的な規模での軍事的な紛争、すなわち第三次世界大戦が起こるとすれば、その発端は中東にあると想定してよい。この状態に対して主たる責任のある両陣営の政治家は、その犯罪的な行為のために解任され、生涯社会から追放されて、彼らの残りの人生にわたり病的で尊大で誇大妄想的な行為の責任を取らされてしかるべきである。
これよりはるかにひどいのは、他国の問題に絶えず干渉する政策によって主たる責めを負うべきアメリカ合衆国の極めてさまざまな行政機関である。非人間的な大量虐殺や拷問、アメリカ軍の良心のない堕落した分子によって捕虜に加えられる臆面もないあらゆる性的虐待も身の毛がよだつ。しかもそれはイラクやアフガニスタンだけでなく、至る所でアメリカの男女の兵士が恥ずべき残忍な所業を行っているのである。だがこれは今日アメリカ軍のいろいろな分子の間で慣行となっているだけでなく、ずっと昔、インディアンが多くのアメリカ市民やアメリカ軍によって虐殺、凌辱され、死に至るまで拷問されことに始まり、ベトナム戦争に至るまでずっと続いていたのだ。これについてはソンミ村の大虐殺や、アメリカ軍の兵士によるその他すべての堕落を思い起こすだけでよい。同様のことは世界中で起きている数多くの紛争や、第三次世界大戦の危機に対するアメリカの決定的な罪についても言える。国民自身が犯罪的な国家権力者とその同調者を解任し、彼らの取り巻きと一緒に終身追放に処するほど賢明ではなく、責任感に欠けるならば、本当に第三次世界大戦が起きるだろう。そしてそれは影響の点でこれまでのすべての戦争を陵駕するだろう。
特に最近数十年間のアメリカ政府の策謀とパワーポリティクスおよびその政策は、世界中のすべての人間や国の負担と、人間のあらゆる権利と義務および人間の尊厳の蔑視に基づいて、常にアメリカの利益だけを優先してきたが、それは全人類および惑星に大きな損害をもたらした。アメリカという国は、遠い未来に至るまで惑星地球を平和にする能力も意志もない。なぜならばそれに必要な責任感が完全に欠落しているからであり、またアメリカは破廉恥にも惑星全体をそのすべての資源もろともせしめようとしているからである。その際に世界の半分が破壊され、数百万の人間の命が奪われることは、犯罪的な責任者にとってどうでもいいことである。それは国民の中の愚かなシンパにとっても同様であり、彼らの責任感も全く取るに足りないものである。アメリカは軍事、テクノロジー、経済ではトップに立っていようとも、道徳、倫理および人間関係では第三世界の基本的な価値や理想にはるかに劣っている。アメリカ人の大部分、広範な大衆は、影響を受けやすく、操作しやすい。なぜならば、彼らの意識は権力と金と消費に向けられているからである。人間の基礎をなす基本的な価値は完全に欠落している。この国は世界警察を気取り、民主主義の極めてさまざまな基本的な価値(疑わしい民主主義、偽りの自由および偽善的な平和の叫びと結び付いている)に肩入れするかのような印象を与えることには成功したが、それは見せかけだけのとんでもないものである。他の国々の利益は常にアメリカの利益に道を譲り、それを貫徹するためには残酷な暴力のいかなる邪悪で堕落した手段も厭わないのである。
アメリカは戦争を扇動し、独裁政治を支持し、ありとあらゆる政府や人間を互いに争わせては、自分の目標を達成して自分自身の利益を実現する。この世界で憎しみや不和や嫉妬を煽り、そして自分自身の政治的、経済的目標に適っているならば、独裁者を助長するためにどんな手段でも使う。厳しくも明確な言葉で表すならば、それは反米主義とは何の関係もない事実であり、政治の現実である。事実、それらは毎日のように観察できる。世界中で独裁的な手段とテロと暴力によって進んで実行される虚偽、不遜、権力欲は、アメリカをヨーロッパが早急に離反すべき国としている。この離反が絶対に必要であるのは、アメリカの政治的、経済的利益が、他国の利益も考慮し、また他国を同等のパートナーとして認めることから遠く掛け離れているからである。世界的な共同体が可能であるためには、すべての関係者は平等でなければならない。しかしそれはアメリカの政策で常々体験できるように、思考と行動が許さない。アメリカは自分をそれ以外の世界のすべての国や人間よりも善いもの、価値の高いものと見なし、みずから賛美する。このような考え方は、真実を認識した立派なアメリカ人が、この国に建国以来つきまとっている愛国主義と利己主義の海で彼らの声を発し、反対することをほとんど不可能にしている。だが、それも無理もなかろう。かつてのヨーロッパからの移民の遠い子孫の一部は、ヨーロッパから建国当時のアメリカ、すなわち無限の可能性を秘めた国へ逃亡したり、当局によって追放されたりしたすべての犯罪者や教派主義者と異ならず、少しも良くなっていないのだから。
柔順なアメリカ合衆国市民の操作しやすさ、多くのアメリカ人が見せる偽りの友情のポーズや完全に誤っている堕落した愛国主義は、合衆国市民の皮相さを表している。彼らは人生の真実と現実に対する視野を失ったか、一度も体得したことがなく、すべての思考と感情そのものが嘘と欺瞞で濁っている。そしてこれに属するアメリカ市民は、アメリカ合衆国の政府、諜報機関および軍隊とあいまって、地球と全人類に対する脅威を意味する。アメリカ合衆国の対外政策の結果はすべて、テロ、破壊、操作、諜報活動、陰謀からなる際限のない災いをもたらし、世界をいっそう不安定にしている。それは今後も著しくその度を増し、全人類に最悪の結果をもたらすであろう。しかし、ついにアメリカ市民の大多数が良い方向に変わらなければ、堕落したアメリカ合衆国のあらゆる犯罪的で無責任で人間に相応しくない策謀から身を守り、こうした一切の害悪を全く変えられないことを恥じる合衆国市民は、遺憾にも少数派になってしまうだろう。
アメリカ合衆国は他人に禁じている武器を所有する権利はない。理由や動機が何であれ、民主主義、自由、平和、愛、調和、神託、テロリズムとの戦いなどの名目で、他国に戦争やテロを仕掛ける権利はない。価値の基準、世界警察、そして誇大妄想的な超大国を気取って、その完全に変質した価値や生命の基準を他人に押し付ける権利はない。アメリカがこのような道を取って進み続ける限り、恒久的な真の平和と実質的な自由に到達することは決してできない。世界共同体はついに、アメリカの出過ぎた振る舞いをたしなめ、アメリカと対峙するために必要なステップを踏むことが必要である。それと同時に、アメリカの政治、軍事、諜報、経済、教派の勢力は、地球のすべての国から撤退しなければならない。アメリカが他国の内政に再び干渉してはならないことは言うまでもない。アメリカの超大国政策を早急に抑えなければならない。さもなくば、あらゆる害悪の中でも組織された国際テロリズムは決して終焉を迎えることはなく、最近世界中で起き、現在も続いているテロよりさらに何倍も悪くなるだろう。
何百年も前から、恐らくは人類が誕生して以来、繰り返し体験してきたように、さまざまな徒党、国民や政府の堕落した誇大妄想的な指導者は、その政体が民主的であるか、独裁的であるか、宗教的であるかを問わず、彼らの嘘と権力欲と病的な考え方により、何百万人もの人間の死に対して責任があったし、これからもそうであろう。昔から、尊大で良心のない国家権力者は自分たちの個人的な利益のために、自国民を偽りの約束や、虚偽の主張や、陰謀と嘘で再三再四他国にたきつけてきた。大部分の聴衆は、憎しみや復讐や報復欲の熱狂と、国家権力者や戦争を煽る連中による戦争の雄叫びによって催眠状態に引き入れられ、自分自身で事実について検討したり、指導者の誇大妄想について熟考することはない。真実を認識する者は常に少数派であって、人々は彼らの呼びかけを戦争の雄叫びの中でもはや聞き取ることはできないか、あっさり聞き流してしまうのである。
国家権力者やテロリストどもにとって、戦争やテロ行為のために巨額の金を浪費するのはたやすいことである。しかし納税者はそれを稼ぐために大変な苦労をしなければならない。さらにまた暗示力を持った無責任な輩にとって、不安定な人間を操作するのもたやすいことである。それらの人間は愚かで無知なために本当に事実について考えを巡らすことができないのである。彼らはまるで犬のような卑屈さで不誠実な誘惑者の後を這いずり、その臭いおならにうっとりするのである。実に、犯罪的な連中の靴をなめるのは、自分の靴をピカピカに磨いて颯爽と歩くことよりも簡単なのである。また、戦争を阻止し、妥協を見いだして真の平和に達することに全力を尽くす代わりに、戦争を煽る方が簡単である。全く同様に、人間に必要な尊敬と畏敬の念を払い、人間の命を大事にするよりも、兵器の威力ですべてを破壊し、人命を奪う方が簡単である。
地球人は平和と自由の名で戦争を行っている。数千年間戦争に明け暮れた後でも、地球人の歴史が証明しているように、戦争とテロは決して平和と自由を、同様にまた愛と調和をもたらし得ないということが認識されなかったのである。
すべての国民は、他国を戦争に巻き込む指導者を、いかにその理由がもっともらしいものであっても直ちに解任して、永久に社会から締め出し、二度と再び社会に戻って来られないようにすべきである。人類がその惑星でついに真の平和と自由を作り上げ、見いだすことができるように、ブッシュ商会、ブレア、シャロン、アラファト、フセイン、そして今も将来も堕落した人間どもと称され、常に争いや戦争やテロに責任のある連中は皆追放されてしかるべきである。しかし、あらゆる民族の人間が、これらすべての権力に憑かれた誇大妄想的な大量殺人者に統治させている限り、不和と戦争は絶えることなく、人間は平和な共存からますます遠ざかるだろう。こうした戦争や不和の張本人は、いつもすべての問題を暴力によって強引に解決しようとし、それにより世界に混沌を生み出し続けているが、地球の人間がこうした連中から解放されて初めて、国際的な和平プロセスを始めることができるのである。しかしそれが始まるためには、何よりもすべての人間が自分自身と取り組み、自分の人生がお上によって決定され強制されるだけでなく、およそ平和共存が可能となるのに必要な責任を進んで引き受けることが必要である。ヨーロッパ、近東、アメリカ合衆国、あるいは世界のどこに住んでいようとも、個々人が人間として求められているのである。真の平和は、人間が次のことを認識し、学ぶことによってのみ達成できる。すなわち、人間は思考と感情により、尊敬と畏敬と尊厳により、そして寛容によって自分自身の中に平和を作り出し、次にそれを手本となるように同胞に示し、他の人間がそれに倣って身を正すようになることである。つまり平和は内的なプロセスによって作られ、最終的に実現されなければならない。考え方が堕落した支離滅裂な宗教的狂信者、すべての宗教家、誇大妄想で無責任なすべての政治家や独裁者は、人間が人間に対してどのような責任を担い、果たすべきかを知っている人々に取って代わられなければならない。このプロセスに何らかの良いもの、肯定的なものをもたらすのは、宗教でもなければ政治でもなく、ましてや軍隊や諜報機関や教派でもない。それは、自らの内に平和への願望を生み出し、それを自分の人生の意識された部分としなければならない個々の人間なのである。このような意識的なプロセスによってのみ、すなわち平和のために何事かをなし、平和をもはや意味のない決まり文句に貶めないという決意によってのみ、いつしかすべての人間が平和な世界的共同体に参入することが根本的に可能なのである。
人間の憎しみは、ユーゴスラビアであろうと近東であろうと、和平を当てにして軍隊を派遣したり、安全のためにフェンスや境界を敷設することによって克服できるものではない。憎しみを克服できるのは、邪悪な過去はそのままにしておいて、現在と、そしてより良い未来と取り組むことによってのみである。過去の過ちから学び、それによって得た認識を現在と未来に取り入れることはできるが、すでに起きてしまったことは変えようがなく、後戻りさせることもできない。それゆえ、いわゆる過去の克服という偽った意図で、過去の犯罪や、起きてしまった人間の堕落行為、たとえば過去の戦争、独裁、破壊、拷問、その他あらゆる種類の残虐行為をいつまでもつつき回すのは無意味で、とんでもなく馬鹿げたことなのである。それが役に立たないのは、実際にはそうした誤った行動は、一方ではますます新たな憎しみと復讐欲を生み出し、他方ではこの浅はかな行いにより、かつて罪を犯した人間の無実、無関係の子孫の中にひどい良心の呵責と罪悪感が生まれ、しかもそれは狂気に至る恐れがあるからだ。事実、罪ある者の子孫は無実であり、いかなる形においても自分が犯していない犯行の責任を問われてはならない。もちろん過去の残虐行為や歴史上の出来事は忘れてはならないが、それらは過去に属することであり、回想行為や式典などによって未来に持ち込んではならない。だが、地球人はこれを記念日や記念式典などの形で行い、それによってすべての残酷な過去を繰り返し記憶に呼び出しては熱くしているのである。しかしすでに言ったように、それは一方では憎しみや復讐の考え、さらには罪悪感を生み、他方では惑わされた者は、かつて罪ある者がしたのと同じように行動するよう鼓舞されるのだ。
邪悪な出来事、残虐行為、暴力的犯罪、非人間的行為、その他あらゆる種類の堕落は、人間や民族や国家の歴史全体から見ればほんの小さな部分にすぎない。だがそれらを記念式典などで繰り返し記憶に蘇らせることは、多くの人間の中に良心の呵責、恥と罪悪感、憎しみと憤り、あるいは残虐行為の模倣を生みだす効果しかもたらさない。だが、それは決してすべての当事者の発達を促進するものではなく、絶対に阻害するものである。要は過去を否定したり、忘れたりするのではなく、前方へ、未来へ目を向けることである。しかしそれは、常に後ろ向きで、過去をひっかき回すならば、決して可能ではないだろう。というのは、過去の残虐行為や犯罪や非人間的な行為を永久に引っ張り出すことによって、思考と感情に罪が生じるだけでなく、上述したように憤りや憎しみや野蛮な情動も生まれ、破壊や殺人や殺害につながるからだ。地球人はいつまでも残酷な過去に固執していては、内面の平和、個人の平和、そして世界の平和に近づくことはできない。彼らはおそらく、人間が互いに過去の歴史における堕落や戦争や破滅を咎め合い、昔の残酷な歴史を蒸し返しているのだということを認識できまい。そして人類は必ず視線を前方へ、未来に向ける場合のみ未来を持つということも認識できまい。まさにここで問われるのは、国家権力や独裁権力、そして宗教や狂信主義やテロリズムの勢力に属する破壊者や無責任な人間、人殺しや犯罪者、そして大量殺人者がとうの昔に犯した残酷行為を、記念式典によっていつも新たに蒸し返しては、新しい害悪を呼び出している愚かさと無知がまだどのくらい続くのかということである。
とりわけヨーロッパは地球全体の平和に新しい意味と次元を付与する潜在的な力を持っていると言ってよい。だがそれは残念なことに、自国の利益を他国の利益に優先させる、頭のいかれた個々の政治家のために水泡に帰している。彼らは宗教的、歴史的理由から、あるいはしばしば彼ら自身がおっぱじめる自国を巻き込んだ土地争いのために、自分たちの利益を前面に押し出さなければならないと考えている。これらの度し難い政治的、宗教的な馬鹿者と利己主義者、自分の行動のためにやたらと神をかつぎ出しては神に誓いを立て(ついでに自国の憲法にも誓う)永遠に時代遅れの連中は、今日まで人間に相応しくない歴史から何一つ学ぶことはなかった。こうした政治屋がどれほど久しくヨーロッパのすべての政府に巣くい、万人が一体となって共同の力を発揮し、平和な共同体を実現するのを不可能にしてきたことか。ヨーロッパではすべての国家がEUに加盟し、あるいは加盟国であることから利益を得ようとするばかりで、自分から何かを与える気は全然ない。これら寄食者どもはEUの共同体において失うものは何もなかった。EUそれ自体が懐疑的で独裁的であり、ほとんどすべての国家権力者がやっているのと同じように権力の網を張り巡らせている。ヨーロッパの国家はすべて、欧州連合の利益と加盟国を代表し、その一員になるか、あるいは全面的にボイコットされるかのいずれかを自ら決定しなければならない。他方、欧州諸国はアメリカの政治のシンパとなり、世界中で国家によってテロが行われている所にしがみついている。こうした影響力はすでにNATOにも及び、NATOに加盟する国々の軍事力が戦争に使われた結果、邪悪な暴力が蔓延しているのである。しかしこれら一切のことは、たとえ人間というものは常にすべてを手に入れようとする傾向があるものだとしても許されるものではない。現在まさに、ヨーロッパが必要な責任を引き受け、ついにアメリカに対して不可欠な対極を構築し、そして合衆国政府機関によって永久に戦争を遂行し、絶えず地球上に不和を引き起こしている、この道徳的に非人間的な国から完全に独立すべき時である。このことはEUにも言えよう。EUは本来アメリカ合衆国の戦争の策動と世界支配の努力から身を守るべきである。だが、EU加盟国の責任者とその同調者は実際は何をやっているか。彼らは他人の国で戦争しているアメリカ軍を助けるために自分たちの兵力を派遣しているのである。もちろん、アメリカの責任者とその熱狂的な賛同者の、すべては平和と自由、そして国際テロの撲滅のためであるという嘘を真に受けてのことである。しかし自称テロの撲滅者により最悪のテロや拷問、殺人、殺害が行われているということについては、故意に黙っている。いまや、ヨーロッパは真の平和と真の自由が生まれるような枠組みにおいて、独自の軍事同盟を築くときである。だがそれは、アメリカが常に最高司令部を握っているNATOのしがらみから、ヨーロッパが自由にならなければならないことを意味する。世界に平和と自由を促進し、それらを世に広めることは、ヨーロッパの義務であり、使命である。だがそれは、今日存在しているEUの枠内では決して起こり得ない。EUは現在、その馬鹿げた法律や禁止条項や条約と、EU自体に納める法外な負担金によって、全加盟国の市民を苦しめている。しかしこれもまた、ヨーロッパがアメリカから解放されない間は、起こり得ないのである。
本当は今日、地球の人類は非常に未来に希望の持てるエポックに生きており、非常に多くのことについて意識的になっている。多くの地球人はもはや罪ある上層部の人間や国家権力者によって言いくるめられることなく、責任を引き受けている。なぜならば、彼らは独自の世界像と見通しを獲得しているからである。しかも自己責任を全面的に働かせ、すべての人間の真の平和と、実質的な自由のためにあらゆる最良のことをなそうとする。これはすべての戦争扇動者と戦争遂行者が地盤を固めるのを難しくするだろう。ヨーロッパの大部分が戦争から自由になったとき、世界中もそうなるはずだ。現在、ほとんどの紛争はヨーロッパ以外の地域で起きているが、もしアメリカが戦争やテロを遂行している危機地域にEU加盟国が軍隊を派遣して、引き続きアメリカを支援するならば、その状況はすぐに変わるだろう。ヨーロッパでまだ見られる一部の分別ある国民の進化段階は、たとえば最初の端緒に過ぎなくとも、ついに可能な平和と本当の自由の前提を作り出し、宗教を捨てることによって、地球上にある数多くの紛争の主要な原因を封じ込めることができる。それはまだ少数派で、大きな力は持っていないが、この少数派が成長すれば、人間を苦しめて死と困窮と悲惨に追いやる犯罪的な国家権力者や宗教家は、ある日いなくなるであろう。今日の時代にあっては、生命の脈絡を非常に詳細に説き明かす豊富な科学的認識と、理性および悟性と、そして生命の真の法則に関する不可欠の熟考により、ついに進化の道を、平和と自由への道を歩むことが可能なのである。
故郷の惑星である地球の住人として、数十年来実に様々な世界の紛争をその外部の安全なヨーロッパから眺めている人間として、人間がなんらかの誤った歴史的な理由から互いに戦争を仕掛け、虐殺し、憎み合い、追放するのを体験しなければならないのは悲劇である。しかもそれが、『聖書』(それ自体が完全に偽造され、でっちあげられたユダヤの年代記に過ぎない)と呼ばれる書物や、その他雑多な宗教的資料に基づく偽りの歴史の結果であることも稀ではない。幾人かの独裁者や民主的に選ばれた政治家や国家権力者が、今日なお数百万もの人間の死に対して責任があるのを体験することも同様であるが、残念なことにこれは日常茶飯に行われている。彼らは一様に平和と自由に関心があると称している。だが、本当に平和を希求しているのは国家権力者ではなく、何よりも大多数の国民なのである。そもそも通常の理解力と健全な理性を備えた、誠実で分別ある人間が、他人の殺害やテロに興味を持つというようなことがあるだろうか。しかし無責任で傲岸不遜、犯罪的で恥知らずの国民指導者は、自分たちの権力に取り憑かれているので、真の平和と本当の自由を許さない。万人が人間として、個人として、不可欠の勇気を奮い起こして、必要な責任感と、そしてまた真に世界的な平和と本当の自由を追求することに対する明確な意識を育むことが求められている。これは政治や宗教などによっては起こり得ず、ひとえに個々の人間自身の個人的な努力によってのみ可能である。すなわち自分の責任を自覚しているすべての人間は、平和と自由に対する闘いを開始して、世界をより善いものに変え、人間のもとに愛と調和が支配する未来を生み出すことが求められているのである。
草案:ギュンター・ノイゲバウアー、2004年2月 / 推敲:ビリー
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第358回コンタクト(2004年5月6日)
プターとの会見
ビリー 次にギュンターと私が書いた記事に関連することを取り上げたい。これについていま私がなおも言いたいのは、イラクでアメリカとイギリスの占領軍が、無力で無実のイラクの男や女や子供に対して加えている性的虐待や拷問や殺人に関して、とうとう公に暴露されたことである。これについて私は、性的虐待も最も卑劣な形式の拷問だと言いたい。そして、そのような堕落行為は昔からあらゆる戦争や類似の出来事で普通に行われたということも言っておかなければならない。すなわち、アフガニスタン、ベトナム、朝鮮、第一次大戦と第二次大戦、そして世界中のその他の戦争地域でも行われたのである。それは今日まで続いているが、これまではすべて黙殺され、解明されることがなかった。私自身もそのような残虐行為を何度か目撃しているので、そうした堕落行為が繰り返し起こるということを誓って保証できる。これに対して主たる責任のある上層部および最上層部の国家犯罪者は、全部の事情を知っているに違いない。だが、彼らは国民に良く見られ、役職を失わないようにするために、すべて否認し、知らないと言い張る。捕虜や自由な市民を苦しめ情報を絞り出すために、彼ら自身が暴力措置を指示するのが普通である。そして国家権力者の手先や拷問吏があらゆる暴力、非人間的で卑劣な行為、そして殺人的な拷問や方法を用いるのは、彼らの野蛮と腐敗の結果に過ぎないのである。このような事実に基づき、いかにイスラム教徒の女や子供や男に例を見ない屈辱が加えられたかを、イラクで起きた拷問と殺人と凌辱の写真が示している。女や男や子供が裸になることを強制され、その状態で辱められ、性的に虐待され、強姦され、殺されたのである。彼らは体と体を鎖でつなぎ合わされたり、犬のように首を綱で縛られて床を引きずり回されたり、性的な変態行為や自慰を強いられたりした揚げ句、最後には自分自身の血と尿と糞にまみれたのである。また別の人々はひたすら死ぬほど殴られ、あるいは踏み付けられたり、電気ショックによって拷問されたり、惨めに虐殺されたりした。それと全く同じことが昔から戦争や革命で当たり前に行われ、すべてが黙殺されたのである。だが今回なんらかの事情により、残虐行為の一部が公となった。しかし、それですべてが終わりというわけではない。事実、すべてのことが瑣末なことのように扱われ、発覚した拷問や凌辱や殺人などは、ごく少数の例外的なケースであり、組織的に行われたものではないかのように言い繕われている。だがこれらすべての堕落や残虐行為は、昔からずっとそうであるように、占領軍が意図的に指示した日常茶飯事に属しているのだ。たしかにいつの時代もそうした堕落した出来事は完全に黙殺されてきたが、にもかかわらずそれらはいつの時代も行われてきたのである。そして殺され、凌辱され、拷問され、裸や性行為を強いられた男女のイスラム教徒について言うと、こうしたすべてのことをイスラム教徒に行った汚れた豚や悪魔のような連中は、これらの人々に対しておよそ考えられる最悪のこと、すなわち女や男や子供たちを、異性の前で素っ裸にして辱めるということをしでかしたのである。イスラム教徒が女性の下着を頭にかぶせられたり、女が男の下着を身につけさせられたりすることは、彼らにとって言いようのない恐るべき恥である。自慰を強いられたり、素っ裸にされたり、互いに性行為を強要されたりすることも同様である。拷問をするろくでなしは、アメリカ人、イギリス人、その他いかなる国の人間であろうが、その呪うべき不遜と傲慢、非人間性と無責任、殺人と拷問の欲望、血と権力の陶酔、憎悪、そして考えられる限りの野蛮と堕落において、自分たちがイスラム教徒に対して何をしたか、そして何をし続けているか決して把握できないのだ。これらの汚れた豚のようなろくでなしは、あまりに低級で愚かなために、真に人間的で尊厳に満ちた思考をほんのわずかでも抱くことができない。もちろん軍隊全体がそんな風に堕落するわけではないということは言っておこう。だが、どんな軍隊にもそうした連中は大勢いる。正規軍の兵士であれ、軍隊ではないが組織されたテロリストであれ、えせ革命家であれ、政治的狂信者や宗教的狂信者であれ、あるいは傭兵やそういう類いのならず者であれ、まったく同じである。いかなる形、いかなる関連における拷問も、破廉恥な輩による果てしない堕落を意味する。それは無力な人間に対する犯罪であり、その人間の尊厳を奪う行為である。拷問はいかなる形においても、いかなる関連においても絶対に正当化されないのだ。
プター 君が語ったことは、それ以上の説明を要しない。実際、記事と合わせて、すべてのことが語られた。したがって、君はすべてのことを事実あるがままに語ったとコメントするにとどめよう。これ以上の言葉は余計だ。
『FIGU特別公報』第14号 PDFファイルのダウンロードページ
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