セミヤーゼとは誰か
セミヤーゼは現在(1996年)約350歳であり、プレアデス/プレヤール星の宇宙船団司令官JHWH プターの娘である。JHWH(発音:イシュヴィシュ)は称号であり、地球の言語に翻訳すると「英知の王」を意味する。セミヤーゼはエロ・イシュリシュ、すなわち準英知の女王の称号を持っている。(プレアデス/プレヤール星では王という概念は位階とは関係なく、到達した霊・意識の進化段階を表現したものである。)ビリーが初めて会見を持ったスファートの孫娘であるセミヤーゼには、ユカタンという名の兄弟がいた。またセミヤーゼは7年間結婚していた。彼女の夫は約220年前に、ある調査旅行の途中、宇宙船の制御障害のために太陽に墜落して命を失った。
セミヤーゼは1965年2月から1973年6月まで、ダル宇宙に住むアスケットの民族のもとで過ごし、その間我々の宇宙とは全く会見がなかった。1973年6月にダル宇宙からエラに帰郷したあと、1973年7月に地球にやってきて、それ以前から(地球で)引き受けていた使命を引き続き遂行した。
その後、1975年1月28日にビリーと最初のコンタクトを取った。
セミヤーゼはあらゆる地球の言語のうちドイツ語しか話せず、1984 年11月まで地球に滞在していた間に他の言語を学ぶこともなかった。
彼女の活動範囲はヨーロッパ地域に限定されており、何らかの案件に介入したり、現存する他の2つのプレアデス系グループが活動する領域、すなわちアジアとアメリカでコンタクトを取る権限は全く与えられていなかった。
1977年12月15日、セミヤーゼはセミヤーゼ・シルバー・スター・センターで生命にかかわる事故に遭い、医師の治療を受けて回復するためにエラに運ばれた。彼女は1978年5月20日(第107回会見)に再び地球に戻り、1981年3月26日(第144回会見)までビリーとコンタクトを取り続けた。
1981年3月終わりから1984 年1月終わりまでセミヤーゼは地球を離れた(別の使命)。
1984年2月3日(第191回会見)、セミヤーゼはビリーと最後のコンタクトを取った。
1984年11月初め、セミヤーゼは1977年12月15日の事故の後遺症で脳虚脱を患った。彼女は直ちにダル宇宙に住むアスケットの民族のもとに運ばれ、そこで友人たち(ゾナ/ゾネールの民族)の助力により再び健康になった。プターの説明によると、脳や、虚脱によって失われたすべてのPSIパワー、諸能力、記憶などが完全に回復するには、70年かかると予想され、その間セミヤーゼはダル宇宙にとどまる。
(しかしながらプターの約束に従えば、ビリーは近い将来一度セミヤーゼを訪ねる機会が与えられよう)
地球上に全部で3つあるプレアデス系グループ(ヨーロッパ、アジア、アメリカ)の中で、セミヤーゼという名前の人物、すなわちビリーとコンタクトを取ったヨーロッパグループのセミヤーゼはただ一人であった。
1986年1月28日の日付をもって、連続会見に予定されていた11年間の期限が切れた。と言っても、グループや大衆に対して会見記が公式な形では出版されなくなり、また彼らがプレアデス人に全く質問することができなくなった等々ということに過ぎず、プレアデス人とビリーとの会見はプライベートな形で引き続き行われ、終了の予定はなかった。
1984年10月31日13時30分(第196回会見)から1986年1月29日まで、プター、クウェッツァル、タリーダ、メナラ、プレヤなどとビリーの間にさらに19回の会見が持たれたが、ビリーは健康上の理由からそれらを記録できなかった。
1989年11月17日、会見(第232回)はプターによって再び正式に記録された。1995年2月3日、第251回会見をもって、プレアデス/プレヤール人の地球上でのミッションは正式に完了した。すべてのステーションは抹消され、敷地は原状に戻された。
しかしビリーが死ぬまで、会見は個人的、友好的なベースで続けられるであろう。(2001年6月25日現在:第304回会見)
FIGUスイスのサイトにあるセミヤーゼに関するページ
『プレアデス/プレヤール人とのコンタクト記録(1)』(2004年11月発行)のご案内
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