FIGUについて 「境界科学、精神科学、UFO研究の自主共同体」
FIGUの概要
FIGUはスイス民法第60条に則り、1975年にスイス国において設立された非営利法人です。FIGUの名称は、「境界科学、精神科学、UFO研究の自主共同体」を意味しています。FIGUは、あらゆる政治、宗教団体とも無関係の独立した団体です。FIGUの活動の基本となる重要な事柄は、50ヶ条からなる「FIGU要綱」に示されています。FIGUは会員の自由意志によって運営されています。
FIGU要綱
ビリー・マイヤー
エドゥアルト・アルベルト・マイヤーは、1937年2月3日スイスのビューラッハで7人の兄弟姉妹の次男として生まれた。父親は靴職人であった 。1942年6月2日、5歳のときエドゥアルトは父親と一緒に初めて巨大な銀色の円盤の形をしたUFOを目撃した。1942年秋、地球外知的生命体により最初のテレパシーによる会見がなされた。それは幼いエドゥアルト・マイヤーにとって、最初は恐怖感を伴う体験だった。同年11月、スファートが操縦する地球外飛行装置により最初の研修旅行が行われた。スファートはプレアデス/プレヤールの恒星系からやってきた非常に高齢の男で、1944年2月3日から1953年2月3日まで、霊と意識および自然に関する非常に多くの知識を子供の私に与えた。これはテレパシーだけでなく、面と向かって口頭でも行われた。
1953年2月3日から次の11年間、ダル宇宙からやってきたアスケットという地球外の女性がエドゥアルトの指導を担当した。エドゥアルトはアスケットと共に、彼女の指導のもとで地球上を方々旅行してまわり、その勉学を深め、いっそう広げた。とりわけアスケットはギザでエドゥアルトと一緒に見たピラミッドの秘密も告げた。それどころかアスケットはエドゥアルト・マイヤーがイマヌエル(通称イエス・キリスト)の時代に戻ることを可能にし、エドゥアルト・マイヤーはイマヌエルと個人的に話して重要な教えを受けることができた。
すでに長い期間、放浪の旅に出て、多くのことを克服してきたエドゥアルトは、27歳でひとまず勉学を終了したが、それは後年仲介者、預言者、教師として使命を果たすための準備ともなった。
1965年8月3日、エドゥアルトはトルコのイスケンデルンでバス事故に遭遇し、左腕を失った。
1965年12月25日、エドゥアルト・マイヤーはギリシャのサロニキで将来の妻と出会い、2カ月後に結婚した。彼らは1967年2月から1969年6月まで旅行して歩き、トルコ、パキスタン、インドをはじめ各地に住んだ。1967年9月20日、クエッタで娘ギルガメシャが生まれた。その後スイスに帰国したあと、アトランティス=ソクラテス(1970年8月9日)とメトゥザレム(1973年10月31日)の二人の息子が生まれた。
1975年1月28日、セミヤーゼ(スファートの孫娘)、すなわちプレアデス/プレヤール星座の女性と最初の会見が行われた。この会見はビリーとFIGU ミッションにとって公式の出発点となった。
1975年1月28日から1996年夏の間、ビリー・マイヤーは、数多い非公式の会見のほかに、セミヤーゼ、プター、クウェッツァル、アスケット、ネラ、タリーダ、メナラ、プレヤなどの地球外知的生命体と約250回にわたって公式の会見を持った。これら公式な会見のほとんどは、いわゆるセミヤーゼ会見記に一言一句もらさず収録され刊行された(テレパシー装置を使って受信者エドゥアルト・マイヤーに直接送られた)。会見は現在も散発的ながら続いている。
ビリー・マイヤー自ら自己の使命を語る
プレアデス/プレヤール人コンタクト事件
フィグ・ヤーパンについて
設立の主旨
フィグ・ヤーパンは、FIGUスイスが発行する書籍類を日本国内で翻訳出版することを主な目的として、1991年に設立されました。フィグ・ヤーパンは、著作権者であるビリー・マイヤー氏から、FIGUに関する作品の独占的な利用権を認可された日本で唯一の団体です。フィグ・ヤーパンの組織形態、活動内容等は、FIGUスイスの定款や会則に準じています。フィグ・ヤーパンの活動の柱は翻訳出版事業です。その他にも、FIGUの書籍や写真に関する著作権の監視、人口過剰問題の普及啓発、UFO研究など多岐にわたって活動しています。なお、フィグ・ヤーパンの活動内容や新刊案内等の情報は、定期的に発行される『フィグ・ヤーパン通信』に掲載されています。
連絡先
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フィグ・ヤーパン通信
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